歴史や文化を知りに 古都マラッカへ!
前回ブログではお伝えしたが東マレーシア・トレンガヌの後、
今では世界遺産に登録された同国にあるマラッカを訪ねた。
前にも書いたとおり、自分はずっと何年も自然オタクなだけであったが、
バリ島に来たことによって、自然だけでなく、宗教や歴史 地理に文化
など自然以外にも興味を抱くことになった。
どのようにして、マレーシアやインドネシアはイスラム教になっていったのか?
という疑問を持つようになり、発祥の地であるマラッカという古都に行ってみた。
昔は東南アジア全体の文化は、仏教やヒンズー教が主体の王朝が栄えていた。
その後アラブなど中東から2004年のインド洋津波の震源になったスマトラ半島の先端や
マレー半島の付け根(今のタイとマレーシアの国境沿い)のあたりから香辛料貿易が始まった。
より香辛料貿易が盛んになると、香辛料を求めマラッカ海峡の奥まで船で奥入ることになる。
そこで基点となった港が今回行ってきたマラッカという町である。
以前はこの地が貿易の中心。
だから、あらゆる異文化も入ってきやすいところでもあり、幾度となく
ポルトガル・オランダ イギリスなどの国により統治された。
長く生活していたランカウイ島が属しているケダというマレー半島の州にも
ヒンズー文化や仏教文化などの遺跡が日の目を見ずに探せばあると聞く。
また興味深く面白い話がひとつ。
イギリス植民地時代、ラッフルズというイギリス人がこのマレーシア・インドネシアを統治していた頃
「マレーシア・インドネシアはイスラム教なのに、なぜ豆粒ほどの小さいバリ島だけがヒンズー教なのであろうか??」
と疑問を持つ。
「以前はヒンズーや仏教などの時代が東南アジアにあったはずだ!」
とラッフルズはジャワ島で大規模な発掘調査に乗り出て、ジャングルの中から
仏教最大の遺跡であるボルブドゥール遺跡、そしてヒンズー文化のプランバナン遺跡を探し当て、
昔東南アジア全域はヒンズー文化、仏教文化が栄え、のちにイスラム文化が入ってきたことを裏付けた。
今回はブログを書いていくうちに、マラッカについて書いていこうと思いタイプしていくうちに、
東南アジア全域の宗教推移についた内容になってしまった。
次回マラッカの料理などについて書くことにしよう。
それでゃ おやすみなさい