尾島のひとりごと

一度っきりだよ人生は! ワクワクドキドキ一緒にしましょぉ

今年4月に行ってきたんです。

   

だいぶ前になりますが今年4月、パプアに行く前に 

オーストラリアに行ってきました

バリ島から直行便が沢山あるんです。
しかもかなりの安価で航空券が取れたものの物価が予想を超えて高かった 

オーストラリアの物価は高ぃとは知ってはいたものの、
朝めしだけで4千円ほど掛かってしまいびっくりしまひた。

今回の旅ではオーストラリア北西部のダーウィンって町に行ってみましたぞ!


クロコダイルダンディーとアボリジニーの町の中心地であり、

街には


アカエリゴシキセイガイインコの群れを見てオーストラリアだと気付かされ

カンガルーはいないのですが、

ワラビー君が覗いてたり、


アオバネワライカワセミ君が大きな声で笑ってたり、


葉っぱの上にはトサカレンカクという鳥が 
この子の足が何本ありますか??

実は・・・・・お父さんが翼で子供たちを抱っこして、
餌の多いところへ移動したり、大雨で体温が下がって死なないように
暖めたりとするのです。

ぽんぽんポンと


子供達が降りてきて 行動を始めました。
かなり心和む行動でした。

そしてそんな水辺には

イリエワニが日向ぼっこ


何はともあれもう全てが大自然!
スケールの大きさに驚かされました。

その自然をフィールドに2万年前に住み始めた原住民ことアボリジニーが
街の人口の4分の1を占めているということと、

パプアの人と同じ系統のアボリジニーは今どんなところに住んでるの?
など興味津々で、アボリジニーの祖が残したとされる壁画で有名な世界遺産

カカドゥ国立公園にもお邪魔しました。

当時の僕の日記
アボリジニーは約6万年前 人類の祖先はアフリカから旅を始め、
2年前の氷河期にはスンダ大陸(アジア大陸でバリ島の端まであった)と
オーストアリア&ニューギニアのサフール大陸の間にあったサフール海を
渡りオーストラリアへ定住し生き続け自然と共に生きる術を身に付けた。

やがて大航海時代クック船長が始めて1770年にオーストラリア大陸を発見し、
西洋文化が押し寄せたそうだ。

元々住み着いていたアボリジニーは迫害されたらしい・・・

イギリスからの最初の移民は流刑者を含む貧困層だったそうで、
開拓という名の下、収奪 略奪 そして狩? 
そうアボリジニー狩りまでしてたみたい

又西洋文化(資本主義)を善かれと思い、
アボリジニーに西洋基準で色々と学ばせようともしたのあろうか?

元々自然と共に生きていた狩猟民族であって順応はしずらいんだろうね

そこで挙げ句の果てにはアボリジニーの文化や習慣を守ってあげようと
保護区を作ったのも西洋人。

土地も与えられ生活保護も支給される大半のアボリジニーは
何を糧に生きて行くかを途方に暮れ街中をまるで浮浪者のように徘徊し、
僕ら自由主義(お金で生きている)者に小銭を強請る。
彼らの土地なのにも関わらず。

アボリジニーがどのような文化を持つかを文化館で
オージーのスタッフさんがが親切に紹介してくれた・・・
肝心なアボリジニーの方は1人して現れなかったのがなんだかとても
淋しかった。

ということで今回アボリジニーの居住区にはお邪魔できなかったものの、
そこの場所以外で見るアボリジニーの方々は、西洋文化に取り残された
いゃ排除された感じのようでなんだか・・・色々と考えさせられました。

又第二次世界大戦時、真珠湾攻撃以上に日本軍が空襲を97回以上もし、
甚大な被害を与えた土地だったとは・・・全然知らなかった・・・・

ダーウィンに来て初めて知りました。

日本人として知らねばならない事であり、
この先の時代、二度とこのようなことをしてはならないと強く思い、 
双方の戦時中に犠牲になられた沢山の人達はその時代では
自分でもどうしようも出来ずに仕方無かった時代だったんかな。

凄い時代があった 
何とも言葉が出なかった。

今日本も含め領土、民族 宗教問題等、様々な地域で争い事があるけども、
どうするのが一番良いんだろう・・・・・

ってダーウィンへ、バリ島から近くて安いからと安易な気分で行ったものの
いろんな意味で考えさせられた旅でありました。

おしまい

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