尾島のひとりごと

一度っきりだよ人生は! ワクワクドキドキ一緒にしましょぉ

ここはホントにインドネシア? パプア人はどこからやってきんだ?

      2016/02/05

今回はインドネシア国内でインドネシアらしくない
パプア州に旅へした。


典型的なインドネシア・パプア州の人


僕の知ってるインドネシア・バリ人

他にも


インドネシアのスマトラ人

インドネシアって

でっかい。

しかもこのパプアってところは

インドネシアの一番端にある島のニューギニア島にあって
氷河期にはオーストラリア大陸とひとつだったとされるんだ。

その彼らはどうみても他のインドネシア人と同じ血筋では無いよね。

彼らパプア人達はどうやってきたんだ?
って疑問もあって直接行って 考えてみようってことだったんだな。

それにはいろんな説があるので明確な答えはないみたいだけど、
ある一説によると、いゃ昔そんなブログを書いたので興味があればこちら ってことで今回訪れたんだ。

又実際に訪れて気になった事があったんだ。

それは僕が想像していたパプアでなかったからだ。

どういう意味か?わからんよね。

パプア州の州都であるジャヤプラに到着し、更に奥地なワメナにも
行ってみた。


特にワメナってところは70年前にアメリカの探検家
が見つけたとされた20世紀の奇跡とされる地であり、全くそれまでは
文明などは入り込んでこなかった地であった。

もちろん何人かのパプア人は
街中を裸でチ○コケースを装着しながら歩いてたけども、

立派な教会があって、スーパーがあって セメントでできてる商店街が
あって、バリ島にもある普通の街のようだったんだ。

もちろん良いことなんだ便利になって。
だから僕もここまで旅が出来た。

でも・・・・・  でも・・・・・・・・・

その商店街に住んでた人達の多くはジャワなどから
移住してきた方たちが殆どだったんだ。

なんでなんだ?って調べてみたぞ!

1945年 独立後インドネシア政府は、
稲作等農耕が栄えた食料生産力のある人口が多いジャワ人達に対して、
国内で未だ農業開発が進まず少人口の未開拓な土地を与え開拓を促させて
食料増産させることで国の発展を目的とした移住同化政策をとった。

そして多くのジャワ人は夢を描き船で未開の地に渡った。

そしてこの移住政策にはもう1つの目的があった。
大きく他民族のインドネシアを統合させる目的を持っていたのだ。

農業のみならず、教師や医者に公務員(警察)様々な技術士等も渡り、
各地で異なる他民族同士だけの言葉を用いてた地元民は、
学校でジャワ人教師がインドネシア語で教えるなどして
インドネシアを統一化 統合化させるための政策でもあった。

ただこのような移住政策に対して、
元々住んでいた住民(パプア)にしてみたら
単なるジャワ人の侵略に違いない。


元々の森や土地はパプアの人達のものであり、
彼らなりの方法で土地を利用していたにも関らずに。

だからもちろん小競り合いはあったし今もやっぱりあるみたい。

でも軍や国家警察(ジャワ系)など国の力を利用して、
急ピッチに入植を推し進めたとされる。

そして1980年代にインドネシア全土は
近代化のインドネシア(ジャワ化とも言われるそうだ)となったそうだ・・・

土地や商売など、経済(お金の動き)はジャワ人にコントロールされ、
独自の文化は葬られ、どこの村の人達も共通語をインドネシア語となり、

最大民族国家のインドネシアは各地方でそのカラーがあったはずにも
関らず、その原色そのものが消えかかっているインドネシア。

他民族からなる大国家インドネシアを統合するには、
仕方が無いが、そうするしかなかったのであろう。

また渡ってきたジャワの人達が悪いだなんて書きたくも無い。

でもだから・・・・・・・・

今旅をするものからしたら、

いち早く、あなたの目で未だ原色が残っているパプア色を見に
出来る限り早く足を運んでもらいたいと切に思う。

早くしないとインドネシアの一色に交わってしまうよ!


バリ島やマレーシア・ランカウイ島でちょっとディープに面白いツアーをやってます。

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